こんばんは。おじさん契約社員です。今週は夏休みで週末だけマクドナルドで副業をしています。
さて、今回の話題は親父との和解とこれからという話です。家庭内の話なので少し重たくなりますことをご了承ください。
親父とは小さい頃から優秀な兄弟と意識的か無意識的かは分からないが比較されて劣等感に苛まされてきた。中学校時代、これではいけないと一念発起して浜松市の名門進学校、静岡県立浜松西高校を進学して日本大学商学部そして香川大学法学部に進学した。小さい頃から親父と一緒にいた時はとにかく否定的な言葉で言ってきてそれで関係が決裂して実家とは遠方の香川で進学したわけである。そして香川大学卒業後は浜松に戻り当時国家公務員である郵政省職員として就職してそれ以降、実家に住まなくなる。
それからは些細なことで親父と喧嘩したのに加えて出ていけという言葉で完全に関係が決裂。それ以降自分が結婚するまで実家にも帰らず全く無視した。しかも実家にあった戸籍も今のマンションのところに移した上で戸籍上の名前のごく一部を訂正し、常用漢字にした。
第一回の天気は自身の結婚の時。母親とだけ連絡していたのだが、国際結婚するに当たり、実家の両親の許諾が必要(*実際は必要がなかったが)ということで話し合うことになった。そこで息子に対して出ていけという言葉はどういうことだということと母親をモラハラしていることを追求。それに対し父親側は謝罪し、一旦は関係は改善し実家との交流は再開したもののその後、母親に対してモラハラが直っていないと母親を通じて聞いていて難色を示しちょっとしたいさかいでまた関係が途切れ、ここ3ヶ月前ぐらいに関係を遮断をされた父親がノイローゼになりどうして関係を遮断したのかを追求してきた。そこで母親に対してモラハラをしている点と過去のいきさつから関係を遮断していたことを私が告げるとそれは思い違いであると主張する。ノイローゼになって何かがあるといけないので私一人でかなり身構えてつつ相手の言い分も聞くために話し合うことになった。
そしてその場でも過去の自分への教育方針や母親へのひどい扱いを述べると、死んで詫びればいいのかと言い出して、今回は意見の違いを明らかにして未来志向でやるようにしようということで和解し、また実家と行き来するようになった。これが主な経緯である。
実のところ、親父もかなりの高齢で先は見えている。自分もこのままではいけないし関係改善をして少しでも寄り添おうとしていて、機会があるごとに実家に訪ねていこうとおもう。そして自分はこれから養子手続きを通じて父親になるわけだがもう少し相手に寄り添うことも必要だったかなと反省もしている。
これからどうなるのかは分からないけど過去の決裂から現在の和解、将来の共感というふうにできればいいと思っている。
少し重たい話でしたが見ていただきありがとうございました。
おじさん契約社員

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